本を読む #日本文学全集07
パステルカラーがすてきな日本文学全集のことは、大学の図書館で知った。当時は須賀敦子さんの全集を目当てに図書館に行き、近くの棚にあったこの文学全集を手に取った。自分でお金を稼げるようになったら。揃えたいと思っていた。(まだ揃えていない。ほかのことで気力が削がれてしまった。)
月日が立ち、就職活動を終えたころ、内田樹さんがこの日本文学全集の中で徒然草を現代語に訳されたことを知った。心の中で買いたいなあと長いこと思っていた。
一年ほど前にとある大きめの本屋でこれをみつけ、即決。しかも酒井順子さん訳の枕草子と高橋源一郎さん訳の方丈記も入っている。読みたい。
はじめに徒然草から読もうとしたのだが、高橋さん訳の方丈記の面白さにはまってしまい、うおおおーとなりつつ何度も読んだ。タイトルがちらりと目に入って、これは!と。
今日はそのおはなし。
この文章を書いている人は、高校時代古文があまりできなかった人です。
物理と数学ばっかりやって他はおろそかにした人です。
そういう理由で、枕草子は「ちょっと愚痴なんかも書いてあるのよね」、方丈記は「年季の入ったおじいさんが何か書いたのよね」、徒然草に至ってはまあ古いお話くらいのことしか頭になかったのです。
高橋さん訳の方丈記、おもしろい。
現代に生きるわたしが共感しているという状況がおもしろい。
わたしもそういうこと思っています。兼好さん。
これだけの時間がたっても、人間の本質は変わらないものなのかしらと思う。
何百年と時間がたてば、人間はちょっと賢くなったり、強くなったりするのだと思っていた。
どうもならないらしいよ。兼好さん。
わたしは、心安らかに、生きていたい。
※徒然草はまだ真面目には読んでいないですすみません。流し読みしかしてないです。
千と千尋の神隠しを見てみた
訳あって、久しぶりに映画を見た。
2001年公開らしい。おおよそ20年前。わたしも着々と老けています。やったね。
小さい頃見たことがあるはずで、だれもが知っている「両親が豚になる」ところや、「まっくろくろすけが金平糖に群がる」ところの記憶はあるのだが、ちゃんとは覚えていなかった。
わたしはまっくろくろすけが好き。
(以下ネタバレを含む)
なんでもないところで涙がでる。
主人公が湯婆婆のところへ仕事をさせてくださいなと言いに行くシーン、
とがったつめに素敵な深紅のマニキュアがぬられた湯婆婆の手で、首を絞められつつ「容易い仕事なんてないんだ、死ぬまでこき使ってやる(セリフがうろ覚えで、嘘を書いているかもしれませんすみませんファンの人)」みたいなことを言われる。
「容易い仕事なんてないんだ」がわたしに刺さる。映画と違う意味で悲しくなる。ええそうですね。そう思いますよ。
湯婆婆と銭婆の姉妹が仲が悪いところは、わたしたち姉妹が仲が悪いのとそっくりだ。もう何年も会っていないし、今後も会うことはないだろう。
石炭を運ぶまっくろくろすけが、その重さに負けてぺちゃんとつぶれるのを見て、千尋は手伝おうとするのだが、それをみたそのほか大勢のまっくろくろすけが手伝ってもらおうとみんな仲良くぺちゃんとつぶれるシーン。
身の回りの図々しい人々が何となく思い起こされて、身震いした。
小太りのねずみは、坊が姿を変えされられたのだということも忘れていた。
千尋の肩に乗る姿や電車で眠りこけるシーンはなんかかわいい。わたしもそうなりたい。むりだけど。
おじいさんになりたいひとがブログを書きます。
こんにちは。
仕事ばっかりで何にもしたくなくなったので、ここへ何か書こうと思います。
生きるためにここに書きます。さて続くか?
過干渉の親にうんざりなおじいさん(わたし)が鬱憤を晴らします。
放置が一番。
仕事が終わったので残業せずに帰ると、それをぐちゃぐちゃ言うのが我が上司。
まあライスワークなので。わたしゆとりなんですよ。
合わせられる部分は合わせていますが(たぶんもっと合わせてほしいんだろうね)、もうあんたは無理だわ。
というわけで。解毒のために何か書いてみます。